薩摩國スイム譚

スイム譚

3月10日、11日に鹿児島で開催される第40回JASCA全国マスターズスイミングフェスティバルに参加のため鹿児島に向かいます。

新潟空港から伊丹空港を経由して鹿児島空港へ向かいます。

伊丹空港は曇りでしたが雲の上は晴天です。

鹿児島空港に到着しました。

街路樹は南国ムードいっぱいです。

空港前でレンターカーを借り、霧島神宮に向かいます。

霧島神宮に向かう途中で「道の駅霧島」に立ち寄りお昼にします。もちろん、黒豚のとんかつ定食です。

お腹もいっぱいになったので、霧島神宮に参拝します。

霧島神宮は日本で初めて国立公園に指定された霧島連山の麓の天孫降臨神話の地として知られる霧島にあります。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が祀られています。

一の鳥居の大鳥居は、高さ23メートル、幅28.5メートルで1988年に完成しました。

大鳥居をくぐり100メートルくらい進むとバスのロータリーがあります。遠くに神橋が、更にその向こうの樹木の陰二の鳥居が小さく見えます。

ロータリーを抜け朱塗りの神橋を渡ります。霧島神宮の社号碑が小さく見えてきました。二の鳥居は80段の急勾配の石段を上がったその先です。

ようやく二の鳥居に到着です。本当はこのそばに大駐車場があるのですが今回は一の鳥居(大鳥居)から参拝したくて頑張りました。

二の鳥居をくぐり鬱蒼と茂る黒い森の中の表参道を進み、ようやく三の鳥居が見えてきました。

三の鳥居に着きました。その奥に本殿が小さく見えています。三の鳥居の右側にひっそりとさざれ石が鎮座しています。

ようやく本殿に到着しました。

霧島神宮は天照大神より「豊あし原の千五百秋の瑞穂の國は是れ吾が子孫の王たる可き地なり宜しく爾皇孫就きて治せ行くませ宝祚の隆えまさむこと当に天壌と窮無かるべし」とのご神託を戴いて、三種の神器と稲穂を捧持して高千穂峰に天降りられた瓊瓊杵尊を主祭神として奉斎しています。

手水舎でお浄めをすませ参拝します。

霧島神宮は創建は540年ごろと古く、もとは高千穂峰の山頂近くに建てれれていたものの、霧島連山の噴火によってたびたび焼失し、再建や移転を繰り返し文明16年(1484年)現在の地に移ったそうです。

社殿は境内から切り出したスギが使われ、鮮やかな朱色と美しい装飾がなされ、「西の日光」と称されています。外部も内部も贅を凝らした装飾の社殿は国の重要文化財の指定を受けています。

社殿の内部は階段状の構えをなしていて、賽銭箱がある勅使殿から拝殿、幣殿、本殿と内部がよく見えます。

参拝を済ませ境内を散策します。

手水舎の前の樹齢800年の杉の御神木は高さ38m、幹廻り7.2mの巨木です。

拝殿脇に四角い竹があります。「四方竹」と呼ばれています。

霧島神宮を後にして桜島に向かいます。

途中、坂元のくろず「壺畑」情報館に立ち寄ります。くろずについて学ぶことのできる展示施設とくろずと相性のいい中華料理を味わえるレストランがあります。

スタッフからくろずの歴史や製法などを案内して頂きました。

坂元のくろずはここから宅急便で送ることができます。

桜島への途中で「道の駅たるみず湯っ足り館」で小休止します。目の前には雄大な桜島と錦江湾、対岸には霧島連山が臨めます。

足湯でゆったりとしていると霧島連山の新燃岳の噴火です。噴煙が数千メートルに上ります。新燃岳はここのところ火山活動が活発です。

桜島に到着しました。桜島はかつては島でしたが、大正3年(1914年)の噴火により大隅半島と陸続きになりました。

途中の有村溶岩展望所を見学します。

有村溶岩展望台から眺める山は、横長ではなく円錐型です。複合火山の桜島は、見る場所によって全くその姿が変わるのです。活発に活動する南岳山頂から噴煙が立ち上っています。

一面に広がる溶岩原と錦江湾が一望でき、溶岩原とその上に根を張る黒松が非日常の景色を作りだしています。

桜島港からフェリーで鹿児島港に渡ります。桜島フェリーは年中無休で24時間運航しています。鹿児島港までは15分ととても近いのです。

フェリーから桜島を臨みます。左から北岳(1,117m)中岳(1,060m)南岳(1,040m)です。噴煙が見える南岳が活発な噴火活動を続けています。

桜島を後にして今日の宿泊先の鹿児島サンロイヤルホテルに向かいます。

翌朝、ホテルの窓から朝日が差し込んでいます。今日は快晴です。桜島からの朝日は格別です。鹿児島の人は毎日この景色を見ていると思うととてもうらやましいです。

今日は第40回JASCA全国マスターズスイミングフェスティバルがあります。会場は鹿児島市の鴨池公園水泳プールです。

2種目にエントリーしています。結果はいつもの通りです。夜の懇親会もいつもの通り大盛況です。

一夜明けて、今日も快晴!!、桜島も綺麗です。

ドン!!というう音が響き、突然の桜島の噴火で黒煙が上がります。鹿児島ではこれが日常なのでしょう。

朝食までの間にホテルの周辺を散策します。

ホテル周辺はヤシの木の並木で南国ムードです。

ホテルの近くに坂本龍馬新婚旅行碑が有りました。

坂本龍馬は妻お龍を伴い、西郷隆盛の勧めで1866年3月から6月まで薩摩各地に滞在し、温泉巡りや谷川釣りや高千穂登山を満喫したそうです。これが日本人最初の新婚旅行と言われています。

朝食後、城山公園を訪れます。桜島や鹿児島市街地を一望できるのが魅力の城山展望台の歴史は古く、大正天皇が皇太子の時代、市街地をご観覧される際に設置されたのが始まりだそうです。天気の良い日には霧島連山や開聞岳も臨むことができるそうです。

また、この城山は西郷隆盛終焉の地です。明治10年(1877年)9月24日未明、城山を包囲した政府軍は一斉攻撃を開始し、西郷隆盛はこの場所で最後を遂げたといわれています。

城山公園を後にして、鹿児島を離れ、知覧を訪れます。駐車場を出るとすぐ武家屋敷の案内看板が目につきます。

薩摩の小京都とも言われている知覧武家屋敷です。

薩摩は武士の比率がとても高く(人口の26%)、藩は、領内を102の地区に区分けして武士を分散して居住させ、軍事的な拠点を複数作るとともに農民や漁民を効率的に支配していたそうです。その仕組みを、藩の居城(内城)に対して外城(とじょう)と呼び、外城内に住む領民は有事の際は、領主や地頭の指揮下で外城を守り、それぞれの外城が内城を守る役割を担っていました。このような外城は「麓」と呼ばれ藩内に多数存在していました。

江戸の雰囲気を伝える町並み、石柱の門や美しい庭園が点在する「麓」は、かつては鹿児島市内のあちこちに残っていたそうですが、現在ではもうあまり見られなくなっているそうです。

今や「知覧武家屋敷」は数少ない貴重な町並みで、伝統的建造物群保存地区に指定されています。

整然とした美しい町並み、母ヶ岳の優雅な姿を借景に取り入れた庭園の佇まいの武家屋敷群です。

地区内の7つの庭園は「優れた意匠で構成されており、その手法は琉球等庭園と相通じるものがあり、庭園文化を知る上でも貴重な庭園である。」として国の名勝に指定されています。

西郷恵一郎庭園です。

庭の南東部の隅に枯滝の石組みを設けて高い峯とし、この峯から低く高く刈り込まれたイヌマキは遠くの連山を表現しているそうです。また鶴亀の庭園ともいわれ、一変して高い石組は鶴となり、亀は大海にそそぐ谷川の水辺に遊ぶがごとく配されているそうです。

平山克己庭園です。

母ヶ岳の優雅な姿をとり入れた借景園です。北側の隅には石組みを設けて主峯となし、イヌマキノ生垣は母ヶ岳の分脈をかたどっています。また、どこを切り取っても一つの庭園を形作り、調和と表現に優れた庭園として絶賛されています。

武家屋敷の建物内部です。

それぞれの生垣や屋敷は有事の際は塁、防壁として役立つように作られたといわれています。

知覧武家屋敷を後にして、特攻平和会館を訪れます。

会館の入口広場に展示してある一式戦闘機「隼」です。映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で実際に撮影に使用されたものです。

大東亜戦争において、陸軍の主力戦闘機として活躍した「隼」は知覧の特攻基地から120機が飛び立っているそうです。

特攻勇士の像(伊藤五百氏製作)

知覧特攻平和会館入口です。

この零銭は鹿児島県甑島の沖合に海没していたものを引き上げたものです。

知覧特攻平和会館をあとにして、枕崎に向かいます。

枕崎駅はJRの「本土最南端の始発・終着駅」でその碑が建っています。

現在のJR枕崎駅は始発終着駅の碑より少し移動しています。

枕崎駅からほど近い「きばらん海道」と「えびすさん通り」が交わる交差点です。

枕崎はカツオの水揚げが全国有数規模であり、鯉のぼりではなくカツオのぼりが泳いでいます。

きばらん海道は毎年8月に開催される枕崎港まつり「きばらん海」の会場です。毎年九州最大の三尺玉花火が打ち上げられます。

花渡川にかかる松之尾橋を渡ったところに枕崎市かつお公社があります。

ここでお土産を購入します。新潟に帰るのは明日なので新鮮なカツオのお土産は断念し、すこし日持ちのするものを物色します。

枕崎から海岸線をひた走り、開聞岳を迂回して今日の宿泊先の指宿温泉「指宿こころの宿」に到着です。

指宿の砂むし会館砂楽で砂風呂砂風呂に入ってきました。夜はゆっくりと日本酒でくつろぎます。

翌朝、快晴です。ヤシの葉っぱも元気です。

鹿児島市を目指して226号を海沿いに北上します。

途中、道の駅いぶすきに寄り道します。

観音崎展望台から指宿方面を臨みます。

これから向かう鹿児島市方面です。曇り空で桜島はよく分かりません。

1時間ほどで鹿児島市内に到着です。

西郷隆盛像です。この像は、没後50年記念事業として鹿児島市出身の彫刻家で渋谷の忠犬ハチ公の製作者・安藤照が8年をかけ製作し、昭和12年に完成したものです。我が国初の陸軍大将の制服姿で、城山を背景に仁王立ちする高さ8メートルの堂々たる姿です。

鹿児島城(鶴丸城)の石垣です。あまり高くありませんが長く続いています。脇の堀とガス灯風の街頭が設置されています。

本丸正面にあたる「御楼門」前です。現在は本丸に建てられている歴史資料センター「黎明館」の正門になっています。橋は「御楼門石橋」で、文化7年(1810年)にそれまでの木橋から石橋に架け替えられたものです。

飛行機まで時間がありますので、仙厳園を見学します。

尚古集成館です。

紡績百年の碑:慶応元年(1865年)に薩摩留学生とともにイギリスに派遣された新納刑部・五代友厚は紡績機械を輸入し、慶応3年(1867年)5月に日本初となる近代紡績工場「鹿児島紡績所」が誕生しました(のちのニチボー・現在のユニチカの源流)。その100周年を記念してこの碑が建てられました。

尚古集成館は島津家の歴史や南九州の文化を紹介する博物館です。建物は日本最古の石造様式機械工場「旧集成館機械工場」で、こちらも世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成遺産に登録されています。大砲、琉球船模型、薩摩切子など、多彩な展示物が島津家の歴史を伝えます。

尚古集成館からいったん道路を渡り仙厳園に入ります。向こうに見えるのは鶴嶺神社です。島津氏の祖先を祀ってあるそうです。

仙厳園を見学します。

集成館反射炉跡:島津斉彬は外敵から国を護るインフラ整備と新事業の工場群を「集成館」と名付け、大砲や武器、軍艦を自前で造るため、溶接炉や反射炉を建造しました。

仙厳園レストラン松風軒下の桜がきれいに咲いていました。

庭園の正門です。明治になって開通した道路に合わせて、29代忠義が建てさせた正門で、裏山の楠を使い、上部には丸十紋と桐紋が彫られています。

広々とした仙厳園庭園広場です。中国江西省の景勝地「竜虎仙厳園」の名をとって名付けられました。

江戸時代の正門の「錫門」です。磯御殿の入口前の門で、屋根は薩摩の特産品の錫で葺かれています。当主と嫡男のみが通ることができたそうです。

錫門の脇に奇妙な形をした石が見えるので門を入って確認します。

畳八畳ほどの大きな笠石のの上に逆さの獅子が乗った大きな灯篭が有りました。獅子乗大石灯籠だそうです。

29代島津忠義が明治17年(1884年)御庭方小田喜三次に造らせた灯籠で、大きく口を開けた獅子を飛び獅子というそうです。

仙厳園の見晴らしの良い広場です。桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な庭園です。

庭園の真ん中にある松の巨木は樹齢350年の「屋久種五葉」(ヤクタネゴヨウ)です。

「屋久種五葉」は屋久島と種子島に自生する五葉松なんだそうです。

環境省の絶滅危惧種に指定されているそうです。

御殿内部を見学します。御殿は29代忠義の代には一時本邸として、また国内外の要人を招く「迎賓館」としての役割も果たしていました。

謁見の間は、来客の応接に使用された部屋で、二間続きで一度にたくさんの人と会うことが出来ました。

細部にまでこだわって作られています。

釘隠は蝙蝠です。蝙蝠は中国では幸運な動物だそうで、近づいてみると目と鼻があって細かい細工なんです。

薩摩焼の「桜島大根」の釘隠もあります。

中庭の石庭です。

池の中の八角形のくぼみは風水の影響を受けているようです。水もとても綺麗で、金魚がたくさん泳いでいます。

御居間からの屋久種五葉松の眺めです。

居間から庭園と桜島が一望できます。

30代忠重が12歳まで過ごした部屋です。

御殿から外に出て庭園の瓢池を周回します。

望嶽楼は仙厳園ができたころ琉球王国から贈られた異国情緒あふれるあずまやです。

仙厳園の裏を周回します。当時のものと思われる石段を登ります。

裏は静かな庭園になっています。江戸時代に造られたきれいな曲水ラインの庭です。

実はこの庭は、長い間火山灰などで埋まっていたのですが、昭和34(1959)年に発掘され、その後の調査で曲水の庭であることが分かりました。

曲水の流れを滝で下の瓢池に落とします。

裏山から眺めた桜島と仙厳園です。

ハヤトミツバツツジです。鹿児島県の固有種で、県の希少野生動植物に指定されています。

曲水の庭のいたるところで花盛りです。

裏山から仙厳園のブランドショップに向かいます。

ここは鹿児島の伝統工芸品である薩摩切子や薩摩焼、世界自然遺産である屋久杉を使った工芸品が並んでいます。

繊細なガラスのカットが施された薩摩切子です。まどからの光を反射してきれいに輝いています。

島津薩摩切子筒型花瓶です。

御猪口、タンブラーがずらりと並んでいます。

整然と展示されている薩摩切子は圧巻です。

復元された島津薩摩切子「菊花文三段重」です。売約済みだそうです。

中国の色被せガラスの製法と、ヨーロッパンのカット模様、そして江戸の職人の技を取り入れ、独自で華やかな進化を遂げた薩摩が誇る薩摩切子は斉彬の急逝と明治維新の動乱で一時は途絶え幻の工芸品となりました。

それから約100年の時を超えた1985年に薩摩切子の復元がなされ、さらに高みを目指しているそうです。

仙厳園を堪能して、新潟への帰路に向かいます。

鹿児島空港です。新燃岳が噴煙を上げています。

伊丹空港に向けて離陸を始めます。

離陸して錦江湾上空を飛行します。

旋回して霧島連山上空を迂回します。

霧島連山の火口が良く見えます。

伊丹空港に到着しました。

新潟に向けて離陸しました。

大阪の市街地が良く見えます。

高度を上げると夕焼けがきれいです。

夕日を見ながら新潟への帰路につきます。

おしまい。

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