今日は金沢港方面と金沢城公園を訪ねてみます。
まず、金沢港の先端にある大野からくり記念館に向かいます。
この記念館は、ここ大野に住み幕末に活躍した科学技術者・からくり師大野弁吉の業績を紹介するとともに、日本におけるからくりの歴史が分かる普段なかなか目にすることができない作品を多く展示しています。

見どころは、展示してあるからくり人形の種類の多さにあります。

館内には手に触れて体験できる各種からくりが展示してあり、徐々にその不思議な世界に誘われていきます。

ひもを引くと一瞬に人形の顔が変わります。

「茶運び人形」の実演があり、その精巧なつくりに感心させられます。
大野からくり記念館から少し離れますが「銭屋五兵衛記念館・銭五の館」では北前船の歴史、銭屋五兵衛の波乱万丈の生涯を追体験できます。
「銭五の館」は現存した本宅の一部を移築し当時の住居を再現してあります。

銭屋一族のゆかりの遺品が展示してあり、往時を偲ぶことができます。

「銭屋五兵衛記念館」では、銭屋五兵衛が質流れの古船から商売を始め、近世を代表する海運業者となり殖産事業に貢献するも、晩年河北潟埋め立て事件で獄死するまでの生涯をシアターで観賞できます。
北前船の実物1/4の模型も展示してあります。

金沢港に戻り、港の魚市場にある厚生食堂でお昼にします。
もともと市場の人のための食堂なのですが、観光客や地元の人誰でも自由に食事できる人気のお店です。
安くて、おいしく、ボリューム満点の人気の近海フライ定食です。

北陸鉄道で金沢駅に戻り、金沢城公園に向かいます。

黒門口から金沢城公園内に入るので、途中の尾崎神社に立ち寄ります。
尾崎神社はあまり大きくない神社ですが、赤く塗られた社殿は日光の東照宮のようで、徳川家の葵のご紋があちこちにちりばめられています。

尾崎神社から黒門に向かう途中に黒門前緑地があります。
1995年まで金沢地方検察庁の検事正官舎だった建物を金沢市が譲り受け、近代和風建築の旧官舎と土塀を保存しています。
敷地内には”アドレナリン”などで有名な世界的科学者で金沢出身の高峰譲吉博士の旧家屋を移築し、公園として開放しています。

旧検事正官舎もその公園の敷地内の日本庭園の中にあり、旧いものを大切に保存していこうとする金沢の文化を感じる場所です。

黒門前緑地を過ぎると金沢城公園黒門口です。
この門は、江戸時代には西丁口門と呼ばれていたそうですが、金沢城公園の門の中で、兼六園と直結している石川門には「白門」という通称がついていたので、明治以降に「黒門」と言われるようになったそうです。

実は加賀藩にゆかりのある門で色のついた門がもう一つあります。それは東大の赤門なんだそうです。
黒門を入ると、目の前がお宮広場です。
東照宮の跡地で、東照宮は明治7年に尾崎神社と名を改めて今の場所に移転したそうです。

この広大な場所は新丸広場です。
新丸には藩の役所や重臣の屋敷が建てられていましたが、その数が増えてきてこの場所では狭くなり、次々に城外に移動したそうです。
そこで、この場所に甲冑、大小刀、弓矢の修理、製造を行う細工所を設けたのですが、宝暦9年(1759年)の大火で焼失し、その後この場所で再建することなく、その跡地が新丸広場になっているそうです。

新丸広場を抜け、湿性園を眺めながら河北門に向かいます。
河北門は金沢城の大手から入り、河北坂を上ったところに位置する、金沢城の実質的な正門になります。
高麗門である「一の門」、櫓門である「二の門」、「枡形土塀」、及び続櫓の機能を持つ「ニラミ櫓」により防御機能を持った構成となっています。

「一の門」から入り「二の門」へと続きます。

城内の三の丸広場から臨む「二の門」です。
宝暦の大火で焼失後、130年ぶりに復元されました。

河北門の「二の門」を抜けると三の丸広場の芝生が広がり、その先に菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓が現れます。
五十間長屋の北端にある「菱櫓」は防衛の要となった物見櫓で、建物を上から見ると菱形になっていて、外から見ると目の錯覚で建物が大きく見えるのだそうです。
「五十間長屋」は武器や食料を保管する倉庫として利用されたもので、城を守る城壁としての役割も兼ねていたそうです。

屋根瓦が白く見えるのは、従来の屋根の上に薄い鉛板を張り付けて造られた「鉛瓦」と呼ばれるものが、雨や雪などによる化学反応で鉛が白くなったものだそうです。
橋爪門は高麗門形式の「一の門」、石垣と二重堀で囲われた「枡形」櫓門形式の「二の門」からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇ります。

橋爪門は二の丸の正面にあたり、城内で最も格式の高い門とされています。
明治期に焼失し、134年ぶりに往時の姿で復元されました。

金沢城内の各曲輪をつなぐ城門のうち、特に重要であった「石川門」「河北門」「橋爪門」を「金沢城三御門」と呼んでいます。
橋爪門の復元により、「三御門」全てが整い、三の丸一帯の江戸後期の景観がよみがえりました。
金沢城公園の中で菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓だけは入場料が必要なのですが65歳以上の方は公的機関の証明書があれば無料なのです。

五十間長屋の内部を見学します。
釘やボルトを1本も使わない、日本古来の木造軸組工法と呼ばれる木組みの工法で復元されています。
三層三階の菱櫓と二層二階の橋爪門続櫓をつないでいて、長さは約90mになります。

建物そのものが展示物で、建物内部の構造が分かる工夫や、コンピューターグラフィックス映像、各種の模型等の展示と音声ガイドを備えた展示施設となっています。

金沢城のジオラマではその全体像が立体的に分かります。

橋爪門続櫓は二の丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓です。
三階から重要文化財の「石川門」、鶴の丸、兼六園を臨みます。

五十間長屋の西側の二の丸広場は、かつて金沢城二の丸に存在した二の丸御殿の跡地になります。
その、二の丸御殿の全体の間取りを描いた江戸期代の絵図です。
二の丸御殿は、建坪3200坪で加賀藩の藩政を司る「表向」、藩主の住居空間である「御居間廻り」女性の住居空間の「奥向」で構成され、城内最大規模の建物です。
石川県の調査委員会が、その復元に向け、絵図や文献等の資料を基に復元を検討しているそうです。

金沢城には天守閣がありません。前田利家が入城した約20年後の慶長7年(1602年)に落雷で焼失し、その約160年後の宝暦9年(1759年)にも金沢大火で焼失し、その後実用性を重んじて、本丸ではなく二の丸を中心として整備が行われたのだそうです。
二の丸広場から玉泉院丸口に向かって降りていきます。
この先に見えてくるのが「玉泉院丸庭園」です。前田家二代・前田利長の正室である玉泉院が屋敷を構えたことに由来しており、玉泉院の逝去後三代・利常が作庭を始めました。
池泉回遊式の大庭園ですが、比較的こぢんまりとしていて全体を一望でき、どの場所から庭を眺めても変化に富んでいるのが特徴だそうです。

玉泉院丸口から石垣を臨みます。
金沢城の魅力は、多種多様な石垣の積み方にもあるそうで、よく見ると場所によって石の積み方が違っていて面白いのだそうです。

金沢城公園を後にして「しいのき迎賓館」の裏側を臨みます。
「しいのき迎賓館」は旧石川県庁をリニューアルした建物で、正面は大正13年(1924年)建築の格調ある旧県庁をそのままにして、反対の裏側は現代的なガラスの空間に生まれ変わっています。
周辺の総合観光案内や、レストラン・カフェ、会議室、ギャラリーなどの憩い・交流の空間を備えた施設となっています。

金沢市は美術館や記念館が多い都市です。
金沢城公園からほど近くに金沢21世紀美術館があります。
ここは美術館というよりもアート広場といった雰囲気で、館内の中央にある展示会ゾーン以外は無料となっており、若者、外国の観光客が多い印象を受けました。

最も有名な展示作品は「レアンドロのプール」です。
プールの下に人がいるという斬新なアイデアが全国のメディアに紹介されています。

館内が非常に混んでいましたので、また今度ゆっくり見学しようと思います。
21世紀美術館から3分のところに中村記念美術館があります。
施設は緑に囲まれた閑静な本多公園の中にあり、書跡、絵画、陶芸などの作品をゆったりとした心持で鑑賞することができます。

本多公園からは、散策路を通って鈴木大拙館や石川県立美術館などの文化施設にも行くことができます。
また、本多公園の背後には小立野台地が控えていて、「美術の小径」、「歴史の小径」と名付けられた高台へと続く階段となっています。
この石段の「美術の小径」を上に向かって登っていきます。

「美術の小径」は水力発電所のところで「歴史の小径」の階段に枝分かれしています。

階段の横には辰巳用水から引かれた水が滝のような急流になって流れ、この急流の下には、「本多公園マイクロ水力発電設備」と名付けられた小さな水力発電所があります。

上から眺めると、急こう配であることがよく分かります。

階段を上ると、石川県立美術館の目の前に出ます。
兼六園周辺の美術館、博物館、記念館のなかで中心的な存在となっているのがこの石川県立美術館です」。
ここは、石川県にゆかりのある作品を中心に収集展示する美術館で、所蔵作品では、野々村仁清氏作の「色絵雉香炉」が国宝に指定されている他、6つの作品が国の重要文化財に指定されています。

久しぶりに洗練された高級感を漂わせる正統派の美術館の雰囲気を味わいました。
夕方になりましたので、ホテルへの帰り路に近江町市場に立ち寄り、おいしいものを物色してから帰ります。

今日も一日結構歩きました。
末巻につづく・・・・
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