肥前國スイム譚 第二巻

スイム譚

長崎2日目、今日は朝から快晴です。朝ごはんをしっかり食べて行動を開始します。

ホテルから5分ほどで、日本二十六聖人が殉教した地、西坂の丘に到着しました。今は西坂公園となっています。

慶長元年(1597年)豊臣秀吉のキリシタン禁止令により、京阪地方へ伝導していた、フランシスコ会宣教師6人と日本人信者20人が処刑された丘です。

この西坂の丘がキリストが十字架に架けられたゴルゴダの丘に似ていることから、信者たちがこの地を処刑の場に願い出たそうです。

丘の上に建つ協会は、ここで殉教した26人が列聖になって100年を記念して昭和37年(1962年)に建てられた「聖フィリッポ西坂教会」です。力強く天にそびえ立つ双塔の一方は、神からのお恵み、罪の赦しを招き受け入れ、もう片方は庶民の願い、感謝、賛美、奉献が天に届くように突き出ているのだそうです。

丘の上には「日本二十六聖人殉教跡」の石碑がひっそりと建っています。

この公園は、今もボランティアの方がきれいに清掃されています。

昭和37年の列聖100年祭を記念して、殉教地の広場に高さ5.6m、幅17mの二十六聖人の等身大のブロンズ像を配した記念碑が建立されました。この記念碑は十字架に架けれた26人の殉教者のそれぞれの祈りの表情が表現されています。

記念碑の裏手に「日本二十六聖人記念館」があります。

展示室には、ザビエルによる日本でのキリスト教の布教から弾圧の時代、二十六聖人の殉教、潜伏キリシタンの祈りから明治時代の信仰の復活までの歴史が多数の資料とともに紹介されています。

西坂公園から坂を下ると、「県営バスターミナル」があります。その二階が長崎県産品が約5000品目2万点揃っているという「長崎物産館」となっています。ここで長崎の土産を少し物色します。

物産館の入口に長崎くんちの「龍踊」と大国町のミニュチュア「唐人船」が展示してあります。

今日も一日乗車券を購入して、長崎駅前から路面電車で出かけます。

桜町支線で諏訪神社駅で降り、長崎歴史文化博物館に向かいます。

この「長崎歴史文化博物館」は、江戸時代に長崎奉行所立山役所が置かれていた場所に建物を復元し、現代的な博物館としての機能も共存させたユニークな博物館です。常設の展示室は長崎奉行所ゾーンと歴史文化展ゾーンがあります。

最初に、長崎奉行所ゾーンを見学します。

長崎奉行所の立地は、本博多町時代(1592年~1633年)外浦町時代(1633年~1673年)立山・西役所時代(1673年~1868年)の各時代ごとに変遷しました。鎖国時代における海外との窓口であった長崎の様子が分かる貴重な資料を見ることができます。

約200年にわたる長崎奉行所の裁判記録「犯科帳」が展示してあり、その中には歴史上有名な「シーボルト事件」の犯科帳(複製)も展示してありました。

キリシタン関連資料では、2018年に世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の資料の展示がありました。

キリスト教が禁じられていた中で、長崎と天草地方において日本の伝統的宗教や一般社会と共生しながら信仰を続けた、潜伏キリシタンの信仰のあかしとなる遺産群の説明や資料などの展示です。

キリスト教の取り締まりの制札です。江戸時代だけではなく明治時代になっても続けられたようです。

長崎奉行所の再現建物の中から見た罪人を取り調べる「御白洲」です。

「対面所・次之間・使者の間」は貿易品の荷改め、大改(長崎奉行の検分)が行われ、検分された貿易品が多数並んでいます。

84代の長崎奉行の遠山左衛門尉影晋はあの「遠山の金さん」のモデルになつた遠山影元の父なんだそうです。シアターで「遠山左衛門尉影晋が長崎で過ごした1年」と題して風間杜夫さんが、江戸から来た奉行が長崎で送る多忙な日々を演じています。

続いて、歴史文化展ゾーンを見学します。

大航海時代の日本周辺の地図です。

ニュンベルグの商人マルティン・ベハイムが製作した現存する最古の地球儀といわれるベルハイム地球儀(複製)です。

「南蛮人来朝之図」屏風の左隻です。江戸時代の狩野派の作品だといわれています。長崎港に停泊するポルトガルの船が描かれた6曲1双で構成されています。

「南蛮人来朝之図」屏風の右隻です。南蛮人の行列と教会堂が描かれています。

我が国の漆器や陶磁器などの工芸品は、長崎からヨーロッパに大量に輸出されました。

漆器面に薄貝を用いて、様々な模様を散りばめた青貝細工机です。これらの品々は東洋趣味としてヨーロッパの王侯貴族に珍重されました。

中国の文人趣味の影響を受けた長崎の亀山焼は、最初は陶器の水瓶を製作していましたが、中国から呉須や土を輸入し上質の磁器を製作するようになりました。オランダや中国との交流を通じて、長崎では海外の影響を受けた陶磁器、ガラス、べっ甲、刺繍などの独自の工芸品が生産されました。

江戸時代の長崎くんちの神輿です。延宝4年(1676年)から明治11年(1878年)まで使われていたもので、現存する最古のものだそうです。

長崎歴史文化博物館はとても奥が深くて短時間ではすべては見切れません。足早の見学ではありましたが、長崎のことがだいたい理解できました。

隣接している長崎公園の中を通り抜けて諏訪神社へと向かいます。長崎公園は明治時代に開設された、長崎で一番古い公園で、日本最古の噴水があったそうです。諏訪神社の樹木と合わさってこんもりとした「諏訪の森」を形づくっています。

登坂の途中に「日本最初の缶詰製造の地」の石碑があります。長崎の外国語学校「広運館」のフランス人教師が、本国から持ち込んだ牛肉の缶詰を食べていたのを見た松田雅典が、その製法を学んで試作を行ったのが日本での缶詰の始まりだそうです。

諏訪神社に向かって公園の中を進みます。途中に「動物ひろば」があり子供に人気だそうです。

坂を上りきると諏訪神社に到着です。

拝殿の脇に出ましたので、いったん参道入口まで下ります。

こちらは、諏訪神社の参道入口です。とても大きく立派な鳥居が構えていて、193段の石段を登った先が拝殿です。

この鳥居が「一の鳥居」で更に「二の鳥居」、「三の鳥居」、「四の鳥居」、「五の鳥居」と大門までになんと鳥居が五つもあります。

諏訪神社に祀られている「森崎大神」は縁結びの神様で、この参道の敷石に「男石」と呼ばれる丸い形をした石や「女石」と呼ばれる六角形の石が埋め込まれていて、これらの石を踏んで、拝殿正面にある「陰陽石」を踏んで参拝すると、縁結びの願い事が叶うとされています。

諏訪神社の顔というべき大門です。ここまで登ってきた坂は「長坂」と呼ばれ、坂の町長崎を象徴するものです。

この大門をくぐると立派な拝殿があります。

地元では「おすわさん」として親しまれていて、鎮西大社と称えられる長崎の総氏神様です。御祭神は「諏訪大神」、「森崎大神」、「住吉大神」の三社がお祀りされ、厄除け・縁結び・海上守護として崇敬されています。

諏訪神社の大祭(長崎くんち 10月7・8・9日)は、絢爛豪華で異国情緒あふれる祭りとして日本三大祭の一つに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

拝殿下の広場には国歌「君が代」に詠われているさざれ石があります。細かい石が長い年月をかけて固結してできた霊石です。

拝殿でお詣りを済ませ、右手に周ると、玉園稲荷神社の鳥居があります。本殿を左に見ながら階段を上ります。

玉園稲荷神社へと続く赤い鳥居が連なっています。

拝殿手前にある大楠は、玉園稲荷神社が創建されたころより数百年この地に自生し、この大楠を抱くことで稲荷の神の力が授かるといわれています。

諏訪神社境内にはこのほかに、たくさんのパワースポットがあります。金運アップの「高麗犬の井戸」、ダイエットや禁煙に霊験あらたかな「止め事成就の狛犬」や「願掛け狛犬」、「トゲ抜き狛犬」など願いをかなえてくれる狛犬がたくさん祀られているます。

ご利益満載な諏訪神社を後にして長坂を下ると、すぐ下の通りは「シーボルト通り」と名付けられています。新大工町からシーボルトが開いた鳴滝塾跡までの約1000メートルの通りで、シーボルトが普段歩いていたであろうと思われる道筋です。

シーボルト通りを少し散策して、路面電車で「崇福寺」(そうふくじ)に向かいます。

途中、思案橋駅がありましたので途中下車してみました。50年ぐらい昔にヒットした思案橋ブルースを思い出しました。川は暗渠になったため、橋の欄干の一部が残っているのみです。

その昔往来する者が花街丸山に” 行こうか、戻ろうか ”と思案したというので思案橋という名がついたといわれています。この周辺は長崎一番の飲み屋街、飲食街です。日中なので人通りはあまり有りませんが、夜はネオンで賑っているのだと思います。

途中に、創業寛永元年(1624年)長崎名物・カステラ本家「福砂屋」本店があります。福砂屋の看板には中国ではめでたい動物と言われている蝙蝠が使われています。創業以来手作業で製造を行い、底についた角の取れたザラメは独特の触感です。

交差点にあるレトロな建物は丸山町交番なんです。交番の横は丸山公園です。ここ丸山は日本三大花街の一つと言われていました。

思案橋駅の隣駅は、路面電車の終点崇福寺駅です。駅からすぐの場所に「聖寿山崇福寺」はあります。寛永6年(1629年)、福州地方の唐人たちの希望で、唐僧超然が招かれ建立されました。黄檗宗の寺院で興福寺、福済寺とともに「長崎三福寺」の一つです。入口の、国指定重要文化財「三門(楼門)」は竜宮門を思わせます。

三門を抜けると急な階段があり、途中の脇に置かれた袖石には、西王母伝説の長寿の桃、その裏には鯉の滝登りの彫刻があります。

階段の上には、国宝の「第一峰門(だいいっぽうもん)」があります。中央に即非禅師の書である「第一峰」の扁額があり、軒下の「四手先三葉栱(よてさきさんようきょう)」と呼ばれる複雑巧妙な詰組みは国内では例がなく、華南地方でも稀だそうです。

釈迦(大雄)を本尊とする国宝の「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」は、唐商人大檀越何高材(だいだんおつかこうざい)の寄進により、中国で切り組み唐船で運び天保3年(1646年)に建立されたもので、長崎市内に残る最古の建物だそうです。

また、観音堂・開帝堂・天王殿(韋駄天)を祀る隣接する護法堂(ごほうどう)は国指定重要文化財です。

鍾鼓楼(しょうころう)は重層の上階に梵鐘を吊り、太鼓も置いてあり、鐘楼と鼓楼を兼ねていて、創建は1647年ごろで国指定需要文化財です。

大釜(おおがま)は延宝9年(1681年)長崎が大飢饉に襲われた時、その救済のため、この大釜で粥を炊き多くの難民を救ったといわれています。

媽祖門(まそもん)は媽祖堂の門として、また大雄宝殿と方丈(僧堂)を結ぶ渡り廊下としての役割をも兼ね備えて、国指定重要文化財に指定されている、八脚門三間三戸形式の門です。門から堂までの石畳は寛政11年(1671年)に造られたもので、長崎で最も古い石畳といわれています。

媽祖門から中に入ると、媽祖堂(まそどう)があります。寛政6年(1794年)に再建されたもので、基壇上にある卍崩しの勾欄に特徴があります。中国の黄檗(おうばく)様式と和様の細部様式とが混在したお堂で、海上守護神媽祖を祀っています。

長崎の唐寺(とうでら)はキリシタン弾圧が厳しかった時代に中国の人たちは仏教徒であることを示すために、出身地別に建立したともいわれています。

崇福寺を後にして、帰り道の途中にある「浜町アーケード」に立ち寄ります。浜町アーケードは百貨店や家電量販店など約700店が集まる長崎最大のショッピングモールです。この商店街を歩くことを長崎の人は「浜ぶら」と呼んでいるみたいです。

お腹がすいたのでお昼にします。天ぷら定食なのですが揚げたての天ぷらが出てくるらしく、食べないと次の天ぷらが出てこないシステムのようでで全体像が撮れませんでした。

天ぷらは大変おいしく完食しましたが、お腹がいっぱいになってからふと気が付きました。長崎名物トルコライスを食べるのを忘れていました。少し後悔を残しつつ、次の訪問先「出島」に向かいます。10分ほどで出島駅に到着します。

出島の門をくぐると、そこは江戸時代の出島です。鎖国時代の役200年間、日本で唯一西洋に開かれていた貿易の窓口です。

オランダ小館員の住居や貿易品を保管する蔵、日本人役人の詰所など16の復元された建物が並んでいます。

出島の全体像はミニチュアの出島でよく分かります。

鎖国時代、この小さな人工島から、砂糖や香辛料などの商品だけでなく、医学や学問など西洋文明が日本各地に伝えられ、広まっていきました。

オランダ石門と旧出島神学校です。

旧石倉(考古館)です。幕末の商社の石倉でした。日本最初のプロシアの商社も入り、坂本龍馬の海援隊とも取引をしていたそうです。

ブロンズ製12ポンド砲。昭和29年(1954年)浦上川河口付近で発見されたもので、オランダ船の絵姿と、オランダ東インド会社の社章「VOC」および「AMSTERDAM ANNO1640」の文字がきざまれているので、鋳造会の名門アスウェーラス・コスターによって寛永17年(1640年)に製造されたものと推測されます。

出島から歩いて3分ほどで、長崎港沿いに広がるオープンテラスの「長崎出島ワーフ」に到着します。カフェやレストランなど15店ほどが並んでいます。テラス席は人気で、天気の良い日は終日ほぼ満席だそうです。

「長崎出島ワーフ」の隣に蒸気船が停泊しています。かつて勝海舟や坂本龍馬が乗り、夢を語った日本初の蒸気船の観光丸です。観光丸は安政2年(1855年)長崎海軍伝習所の練習艦としてオランダより江戸幕府に贈呈された木造外車式蒸気船の軍艦で旧名スームビング号です。翌年「観光丸」と改名し幕府海軍の練習艦として使用されました。 

現在の復元船は、新・観光丸クルーズとして幕末の日本を守った長崎の台場跡群を巡ります。

長崎水辺の森公園沿いの堤防を先に向かって進みます。遠くに長崎出島ワーフと観光丸が臨めます。

反対側の堤防沿いには長崎港ターミナルが見え、離島への渡航船や観光遊覧船が停泊しています。またその先には五島汽船協業組合長崎営業所の建物が見えます。

浦上川の河口に架かる赤い橋は「旭大橋」です。

長崎水辺の森公園の堤防の先まで来てみます。稲佐山の展望台が遠くに見えます。その下の海岸沿いに三菱長崎造船所の工場群が広がっています。その中に世界遺産に指定されているジャイアント・カンチレバークレーンが見えます。

ジャイアント・カンチレバークレーンは明治42年(1909年)に竣工した同型としては日本で初めて建設された電動クレーンです。英国アップルビー社製で高さ約62m、アーム部分の長さ約75mで150トンの吊り上げ能力を持ち、長崎造船所内で作られた製品や機材を船に積み込むためのものです。現在も現役で稼働しているので非公開施設となっています。

長崎港に隣接する海浜公園「長崎水辺の森公園」は、長崎港内を埋め立てて造成されたとても広い公園です。「大地の広場」、「水の庭園」、「水辺のプロムナード」の3ブロックからなり、水と緑にあふれた憩いの場として市内外の人々の人気を集めています。

海からの心地よい風に吹かれながら公園を海沿いに松が枝国際ターミナルに向かって歩いて行くと、大きな船が見えてきました。

バハマ船籍の大型クルーズ船「スペクトラム・オブ・ザ・シーズ 」が停泊しています。全長343.1メートル、169,379トンの巨大な船体は海の上の大きなビルに見えます。

長崎港はまるで鶴が美しい羽を広げた様に見えることから「鶴の港」と呼ばれています。その鶴の両翼を繋ぐように全長1289m・高さ65mの斜張橋としては国内で6番目の長さを誇る「女神大橋(ヴィーナスウイング)」が架かっています。長崎港に出入りする船はすべてこの橋をくぐります。10万トン超の大型クルーズ船が入港する瞬間はとても迫力があるそうです。

長崎水辺の森公園で多くの数の外国の国旗をデザインした凧を揚げています。大型クルーズ船が入港すると歓迎のために揚げているそうです。

本来は長崎県立美術館を見学したかったのですが、あいにく今日は休館日でした。長崎出島ワーフ沿いを歩き、長崎港ターミナルビルを眺め、イズミのゆめタウンで買い物がてらぶらぶらします。

路面電車の大波止駅から長崎駅前に向かいホテルに戻り更に小休止です。少し疲れています。風呂に入りちょっと回復したので昨日逃した長崎ちゃんぽんを食べに出ました。

野菜と山海の具材がたっぷりと入った町中華の長崎ちゃんぽんです。

隣が製麺所で麺を小売りしていましたので、麺とご当地のたれを購入しました。他の土産も一緒に送りたいのでJR長崎駅ビルのアミュプラザ長崎で買い物をします。辺りはすっかり薄暗くなりました。

アミュプラザ長崎で”あじのじゃこ天”を見つけたので、それを肴にビールを飲んでゆったりします。

明日は佐世保に向かいます。

第三巻に続く・・・・

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